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東京地方裁判所 平成10年(行ウ)125号 判決

東京都小金井市梶野町三丁目六番六号

原告

藤森弘章

東京都武蔵野市吉祥寺本町三丁目二七番一号

被告

武蔵野税務署長 堀之内建二

右指定代理人

加藤裕

井上良太

佐々木喜一

佐藤謙一

古瀬英則

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対し平成九年四月三日付けでした原告の平成七年分の所得税に係る更正を取り消す。

第二事案の概要

本件は、日本アイ・ビー・エム株式会社(以下「日本IBM」という。)を、退職勧奨プログラムである「キャリアプラン休職制度」(以下「本件制度」という。)の適用を受けて、平成七年四月二四日付けで退職した原告が、右退職に先立ち、日本IBMから支給を受けた休職開始時一時金(以下「本件休職時一時金」という。)及びキャリア開発補助金(以下「本件補助金」といい、本件休職時一時金と合わせて「本件一時金等」という。)を退職所得として、平成七年分の所得税の申告をしたところ、被告から、本件一時金等は給与所得に該当するとして、平成九年四月三日付けで、原告の平成七年分の所得税に係る更正(以下「本件更正」という。)を受けたため、本件更正の取消しを求める事案である。

一  関係法令の定め

1  所得税法(以下「法」という。)は、居住者に対して課する所得税の課税標準を総所得金額、退職所得金額及び山林所得金額とし(法二二条一項)、そのそれぞれについて所得控除をした残額たる課税総所得金額、課税退職所得金額及び課税山林所得金額につき、それぞれ各別に金額区分に応じた税率を乗ずる等して算出された金額の合計額をもって、居住者に対して課する所得税の額としており(法八九条)、総所得金額には、事業所得の金額、給与所得の金額、雑所得の金額等が含まれるとしている(法二二条二項一号)。

そして、給与所得とは、俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与(以下「給与等」という。)に係る所得をいい(法二八条一項)、給与所得の金額は、その年中の給与等の収入金額から給与所得控除額を控除した残額とされ(同条二項)、収入金額が一〇〇〇万円を超える場合の給与所得控除額は、二二〇万円と当該収入金額から一〇〇〇万円を控除した金額の一〇〇分の五に相当する金額の合計額とされている(同条三項五号)。

これに対して、退職所得とは、退職手当、一時恩給その他の退職により一時に受ける給与及びこれらの性質を有する給与(以下「退職手当等」という。)に係る所得をいい(法三〇条一項)、退職所得の金額は、その年中の退職手当等の収入金額から退職所得控除額を控除した残額の二分の一に相当する金額とされ(同条二項)、勤続年数が二〇年を超える場合の退職所得控除額は、八〇〇万円と七〇万円に当該勤続年数から二〇年を控除した年数を乗じて計算した金額との合計額とされている(同条三項二号)。

2  給与所得、退職所得及び公的年金等に係る源泉徴収

居住者に対して国内において、給与等の支払をする者、退職手当等の支払をする者、公的年金等の支払をする者は、源泉徴収義務者とされ、その支払の際、その給与等、退職手当等あるいは公的年金等について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月一〇日までに、これを国に納付しなければならないとされている(法六条、一八三条一項、一九九条、二〇三条の二)。

そして、源泉徴収による所得税については、源泉徴収をすべきものとされている所得の支払の時に納税義務が成立し(国税通則法(以下「通則法」という。)一五条二項二号)、納税義務の成立と同時に特別の手続を要しないで納付すべき税額が確定するとされている(同条三項二号)。

二  争いのない事実等

1  原告の日本IBM退職の経緯(甲第一、第二号証、乙第二ないし第四号証、第六、第七号証)

原告は、平成七年四月二四日、日本IBMを退職したものであり、日本IBMは、同日まで、原告の所得税に係る源泉徴収義務者であったが、原告の日本IBM退職の経緯は次のとおりである。

(一) 日本IBMは、従業員に対する退職勧奨プログラムとして、本件制度を実施しているが、その要旨は次のとおりである。

(1) 対象者は、休職開始日において満四七歳以上満五〇歳未満で、勤続五年以上の社員である。

(2) 休職期間は満五〇歳の誕生日まで、最長でも三年間であり、休職開始後の復職はない。

(3) 休職期間の満了日(満五〇歳の誕生日)を定年扱い退職日として定年退職金が支給される。

(4) 休職開始月の月末に、セカンド・キャリアのための資格取得、研修受講及びその他教育の費用として、一律一〇〇万円のキャリア開発補助金が支給される。

(5) 特例措置として、平成六年一二月一日から平成七年二月一日までの間に休職を開始する社員に対してのみ休職開始時に、月額給与の一二か月分の休職開始時一時金が支給される。

(二) 原告は、平成六年一一月三〇日、日本IBMに対し、本件制度に係る「キャリアプラン休職申請書」を提出し、平成七年二月一日から原告が満五〇歳になる同年四月二四日までの間の休職の承認を受け、同年一月九日、日本IBMとの間で、原告が本件制度の適用を選択したことによる退職合意確認書を取り交わし、休職期間満了日の同年四月二四日付けで定年扱い退職する旨合意し、その撤回あるいは定年扱い退職日前の復職がないことの確認をした。

(三) 原告は、平成七年二月一日から、本件制度に基づき、日本IBMを休職し、同月二四日、本件休職時一時金一三四八万六一〇〇円及び本件補助金一〇〇万円の交付を受けた。なお、本件一時金等については、日本IBMを源泉徴収義務者として、給与所得として源泉徴収課税がされている。

(四) 原告は、休職期間が終了する満五〇歳の誕生日である平成七年四月二四日付けで定年扱い退職とされ、同月二八日、日本IBMから退職時一時金一三四八万六〇〇〇円の支給を受けた。なお、右退職時一時金については、日本IBMを源泉徴収義務者として、退職所得として源泉徴収課税がされている。

2  本件更正及び不服申立ての経緯(甲第三、第四号証、乙第一号証の一、二、第五号証、第八、第九号証)

本件更正及び不服申立ての経緯は、別表一記載のとおりであり、その詳細は次のとおりである。

(一) 原告は、平成八年三月一五日、平成七年分の所得税につき、本件一時金等を退職所得とし、別表一の確定申告の区分記載のとおりの内容で確定申告(以下「本件申告」という。)をした。

(二) 被告は、平成九年四月三日付けで、原告の平成七年分の所得税につき、別表一の更正処分の区分記載のとおりの内容の本件更正をした。本件更正は、本件一時金等が給与所得であるとの前提に立つものであった。

(三) 原告は、本件更正を不服として、平成九年五月六日、国税不服審判所長に対し、審査請求をしたが、平成一〇年三月三一日付けで棄却され、同年四月三日以降に、右裁決書謄本の送達を受けたため、同年七月二日、本件訴えを提起した。

3  被告が主張する本件更正の適法性根拠

被告が主張する課税の根拠は次のとおりであり、それにより算定される還付金の額に相当する税額は、本件更正における還付金の額に相当する税額を下回るから、被告主張が是認されるときは、本件更正は適法となる。被告の主張する課税根拠のうち、本件一時金等の所得区分を給与所得としている点に関連する部分以外は当事者間に争いがない。

(一) 総所得金額 一三六四万〇七一四円

これは、以下の事業所得の金額〇円、給与所得の金額一三六四万〇七一四円及び雑所得の金額の合計額であるが、雑所得の金額の計算上生じた損失の額四一二万四八三三円は、法六九条一項の規定により、他の所得の金額から控除できないので、結局、合計額は一三六四万〇七一四円となる。

(1) 事業所得の金額 〇円

原告は、本件申告の確定申告書(以下「本件申告書」という。)の職業欄に「自営業」あるいは総合課税の所得の種目欄に「ソフト開発」と記載した上、右業務から生じる所得を事業所得として営業所得の金額欄にマイナス四一九万六三四三円と記載し、被告に提出しているところ、原告が右「自営業」あるいは「ソフト開発」業につき、その所得に係る収入金額が平成七年分ないし平成九年分のいずれについても〇円として申告していることから、右業務は、開業後三か年にわたって収入が一切ないということになり、営利性や、相当程度の期間継続して安定した収益を得られる可能性がなく、法二七条が予定する対価を得て継続的に行う事業であるとは認められない。

(2) 給与所得の金額 一三六四万〇七一四円

原告が日本IBMから交付を受け、本件申告書に添付した「平成七年分給与所得の源泉徴収票」上に記載された給与・賞与の支払金額である一六一四万八一二一円から、法二八条三項五号の規定に基づき算出した給与所得控除額二五〇万七四〇七円を控除した金額である。

(3) 雑所得の金額 マイナス四一二万四八三三円

(二) 退職所得金額 九九万三〇〇〇円

原告が日本IBMから交付を受けた「平成七年分退職所得の源泉徴収票」上に記載された退職所得の支払金額一三四八万六〇〇〇円から、法三〇条三項二号の規定に基づき算出した退職所得控除額一一五〇万円を控除した残額の二分の一に相当する金額(法三〇条二項)である。

(三) 所得から差し引かれる金額 四二九万七九一七円

原告が本件申告書に記載した金額から、配偶者特別控除の額三八万円を除外した金額である。

(四) 課税総所得金額 九三四万二〇〇〇円

前記(一)の総所得金額一三六四万〇七一四円から、前記(三)の所得から差し引かれる金額四二九万七九一七円を差し引き、通則法一一八条一項の規定により一〇〇〇円未満の端数を切り捨てたものである。

(五) 課税退職所得金額 九九万三〇〇〇円

前記(二)の退職所得金額である。

(六) 算出税額 一六七万一九〇〇円

課税総所得金額に対する税額一五七万二六〇〇円(前記(四)の課税総所得金額に法八九条一項所定の税率を乗じて算出した金額)と課税退職所得金額に対する税額九万九三〇〇円(前記(五)の課税退職所得金額に法八九条一項所定の税率を乗じて算出した金額)を合計した金額である。

(七) 還付金の額に相当する税額 二三三万三五〇四円

前記(六)の金額から、平成七年分所得税の特別減税のための臨時措置法(平成六年法律第一一〇号)四条に基づく特別減税の額五万円を控除し、さらに、原告が本件申告書に記載した源泉徴収税額三九五万五四〇四円を控除した金額であり、還付金の額に相当する税額が二三三万三五〇四円となる。

三  争点及び争点に係る当事者の主張

1  本件一時金等の所得区分と本件更正の違法事由との関係について

(被告)

(一) 源泉徴収義務は給与等の支払者である源泉徴収義務者が国に対して負う義務であって(法六条、通則法一五条二項二号、三項二号)、その当否も国と源泉徴収義務者との間で解決されるべきものであり、源泉徴収義務者と給与等の支払を受ける受給者との間での源泉徴収額の多寡とは別個の法律関係である。したがって、右源泉徴収税額が過大に天引徴収されたときは、それを納付した源泉徴収義務者は、国に対して当該差額分の還付を請求することができ、他方、受給者は、源泉徴収義務者に対して当該差額分の給付を求めることができるものとされている。

(二) 右のような源泉徴収制度の仕組みに照らして、原告の「本件一時金等の所得税法上の認定を退職所得とすべきである」との主張の趣旨が、本件一時金等を退職所得として源泉徴収すべきであるとの趣旨であれば、別表二のとおり、源泉徴収義務者である日本IBMが原告から徴収し、国に納付すべき金額は一五九万七四八四円となるから、日本IBMは国に対して既に納付した源泉徴収税額三九五万五四〇四円との差額の還付を請求することができ、他方、国と原告との間では、日本IBMが正当に源泉徴収すべき金額一五九万七四八四円を前提として還付金の額に相当する税額を算出すべきところ、原告の求める還付金の額に相当する税額は一五六万七一三九円となり、原告が本件申告書に記載した還付金の額に相当する税額三六二万三八〇〇円を下回ることとなるのてあるから、本件一時金等が退職所得に該当するとしても、本件更正の取消事由とはならない。

(三) 仮に、原告の主張の趣旨が、過大に源泉徴収された税額部分については、受給者たる原告がその確定申告の手続において精算し、国に直接還付を求めることができるとの趣旨であれば、そのような主張が許されないことは、最高裁判所平成四年二月一八日第三小法廷判決・民集四六巻二号七七頁が判示するところである。

(原告)

(一) 原告の本件訴訟の趣旨は、日本IBMが原告に支給した本件一時金等の所得区分、すなわち給与所得であるか退職所得であるかということであり、それが確定すれば、その論理的帰結として、原告以外の関係者も含めて事務処理をし直すことになるのであり、所得区分についての見解が、課税庁である被告と源泉徴収義務者である日本IBMとの間で共通し、それが納税者である原告の見解と対立する場合には、次の理由により、納税者である原告と課税庁である被告との間の訴訟において、決着が図られるべきものである。

(1) 課税庁は、所得区分を判断する行政権限を有しており、源泉徴収義務者は税の支払者でも受取者でもなく、課税庁の行政指導に従うのを得策とする立場にある。

(2) 納税者が源泉徴収義務者を相手として訴訟を起こさなければならないとすれば、本質的には行政訴訟であるのに、形式的には民事訴訟となり、合理性を欠く。

(二) 原告は、武蔵野税務署の係官からの、「退職を前提とする所得は退職所得であるが、源泉徴収義務者である会社に再認定を定め、その結果を知らせてください。」との助言を得て、日本IBMに再認定の質問状を送って、回答を得た上で、本件申告に際し、書簡を付して、原告の判断を明示し、その根拠として、日本IBMとの間の質問状及び回答を添付した。被告は、原告の主張を踏まえた上で、本件更正の通知書において、本件一時金等は給与所得であるとの判断を示し、国税不服審判所でも、所得区分を争点としているのであって、いまさら所得区分のいかんによって本件更正に違法は生じないとの主張をするのは公正ではない。

2  本件一時金等の所得区分について

(被告)

(一) ある金員が法三〇条一項にいう退職手当等に該当するか否かについては、その名称にかかわりなく、退職所得の意義について規定した法三〇条一項の規定の文理及び退職所得の優遇課税についての立法趣旨に照らし、これを決するのが相当であり、それが退職所得に当たるというためには、〈1〉退職すなわち勤務関係の終了という事実によって初めて給付されること、〈2〉従来の継続的な勤務に対する報償ないしその間の労務の対価の一部の後払いの性質を有すること、〈3〉一時金として支払われることとの要件を備えることが必要であり、また、右規定にいう「これらの性質を有する給与」に当たるというためには、それが、形式的には右の各要件のすべてを備えていなくても、実質的にみてこれらの要件の要求するところに適合し、課税上、「退職により一時に受ける給与」と同一に取り扱うことを相当とするものであることを必要とすると解すべきである(最高裁判所昭和五八年九月九日第二小法廷判決・民集三七巻七号九六二頁)。

(二) 本件一時金等の課税方法に異議があるとする原告からの質問状に対して、日本IBMは、本件一時金等は、本件制度を発表した平成六年一一月一五日以降、平成七年二月一日付け休職開始までのケースに対し、同時期に行われていた「キャリア選択援助計画の例外的措置」とのバランスの観点から限定的に支給したものであり、あくまで例外的な処遇として位置付けており、本件一時金等の支給に関しては、〈1〉休職開始日以降も日本IBMの社員としての身分を継続していること、〈2〉退職を前提としているが、厳密な意味での退職日は確定していないこと(退職予定日以前での、自己都合退職、死亡退職、解雇等への移行があり得ること。)、〈3〉一時的に行う支給であり、例外的に定められた支給であること等を考慮し、法が規定する退職所得には該当せず、賞与・報償金に該当するものと判断している旨を回答している。

(三) 以上のように、本件一時金等は、退職を前提とはするものの、社員としての身分が継続する休職期間の開始に当たって支給された一時金であって、しかも、退職時には、これとは別に退職特別加算金が支給されていることからすれば、退職すなわち勤務関係の終了という事実によって初めて給付されたものとは認められず、法三〇条一項に規定する「退職手当、一時恩給その他の退職により一時に受ける給与及びこれらの性質を有する給与」には該当しないものというべきである。

(原告)

本件一時金等は、以下の理由により、退職所得に該当する。

(一) 法三〇条は、退職所得とは退職により一時に受ける給与であると規定する。右規定によれば、退職所得でないというためには、退職により一時に受ける給与でないことを証明する必要があるところ、本件一時金等は、まさに退職に起因する一時金である。すなわち、〈1〉本件制度の本質的要件は「退職合意確認書」(甲第二号証)であり、〈2〉本件制度に基づく休職は退職と不可分一体であり、退職せずに本件一時金等を得た者はおらず、〈3〉休職中は無給で他企業への就職を妨げないというのは退職を前提としているからこそである。

そして、本件制度があったからこそ、原告は退職したのである。

(二) 原告は、休職後約二か月で退職したが、本件一時金等は休職期間に対応する給与や退職以外の理由による報償としては金額が多すぎる。

(三) 給与所得と退職所得の税率が反対であれば、被告が本件一時金等を退職所得と主張することは間違いない。

(四) 休職開始時一時金か退職一時金かという名称の違いだけで法律の適用を違えるのは恣意的というほかない。

四  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第三争点に対する判断

一  本件一時金等の所得区分と本件更正の違法事由との関係について

1  本件一時金等につき、源泉徴収義務者である日本IBMは、これを給与所得として源泉徴収していることは前記のとおりであるところ、同じ金額の収入であっても、これを給与所得とみるか、退職所得とみるかによって、当該収入から算定される所得金額、ひいては、当該所得に係る源泉徴収税額に違いが生じ、退職所得とみた場合の方が所得金額及び当該所得に係る源泉徴収税額が低くなることは、前記第二、一に掲げた関係法令の定めに照らして明らかというべきであるから、仮に、本件一時金等が、原告の主張するように退職所得に該当すべきものであったとすれば、源泉徴収義務者である日本IBMは、本来、源泉徴収すべき税額を超える金額を源泉徴収したとして処理しているということになる。

2  ところで、法は、源泉徴収による所得税について、徴収・納付の義務を負う者は源泉徴収の対象となるべき所得の支払者とし、源泉徴収による所得税の徴収・納付に不足がある場合には、税務署長は不足分を源泉徴収義務者から徴収し(法二二一条)、右により不足分を徴収された源泉徴収義務者は、源泉納税義務者たる受給者に対し求償すべきものとしており(法二二二条)、他方、受給者は、支払者が本来、源泉徴収すべき税額を超える金額を源泉徴収した場合には、何ら特別の手続を経ることを要せず、直ちに支払者に対し、本来の債務の一部不履行を理由として、誤って徴収された金額の支払を直接に請求することができる(最高裁判所昭和四五年一二月二四日第一小法廷判決・民集二四巻一三号二二四三頁参照)のであって、源泉徴収による所得税に関して、国と法律関係を有するのは支払者のみであり、受給者と国との間に直接の法律関係の存在が予定されていない。したがって、法一二〇条一項五号が、所得税の確定申告において、同項三号に掲げる算出所得税額から控除するとする「源泉徴収をされた又はされるべき所得税の額」とは、法の源泉徴収の規定(第四編)に基づき正当に徴収された又はされるべき所得税の額を意味するのであり、支払者がした所得税の源泉徴収に誤りがある場合に、その受給者が、所得税の確定申告の手続において、支払者が誤って徴収した金額を算出所得税額から控除し又は当該誤徴収額の全部若しくは一部の還付を受けることはできないと解するのが相当である(最高裁判所平成四年二月一八日第三小法廷判決・民集四六巻二号七七頁参照)。

3  そうだとすれば、本件において、仮に、原告が主張するとおり、本件一時金等が退職所得に該当し、日本IBMがそれを誤って給与所得として源泉徴収していたとしても、法一二〇条一項三号に掲げる算出所得税額から控除すべき源泉徴収による所得税額は、本件一時金等を退職所得として、法の規定に従って算出される源泉徴収による所得税額(これは、前記のとおり、本件一時金等を給与所得として算出される源泉徴収による所得税額よりも低額となる。)に限定されるのであって、原告は、本件一時金等を給与所得として算出される源泉徴収による所得税額との差額については、確定申告において、算出所得税から控除し、又はその全部若しくは一部の還付を受けることはできず、右差額については、右差額に相当する本件一時金等の一部が未払であるとして、日本IBMに対して請求すべきものということになる。

4  そして、証拠(乙第一号証の一、二、第二ないし第四号証、第七号証)及び弁論の全趣旨によれば、原告の確定申告の内容を前提として、本件一時金等を退職所得とした場合に算出される還付金の額に相当する税額は、別表二記載のとおり、一五六万七一三九円となることが認められるところ、右金額は、本件更正における還付金の額に相当する税額三二〇万六九〇四円を下回るのであるから、本件一時金等が退職所得に該当するとしても、本件更正が違法となるものではない。

したがって、原告の主張は失当というべきである。

5  なお、原告は、被告が本件更正の通知書において本件一時金等が給与所得であるとの判断を示し、国税不服審判所でも所得区分を争点としていることから、本件訴訟において被告が本件一時金等の所得区分のいかんにより本件更正が違法となるものではない旨主張することは公正ではないと主張するが、証拠(乙第八号証)によれば、被告は、審査請求手続において、右主張と同じ主張を提出していることが認められ、また、源泉徴収制度の構造に関する被告の主張を制限したとしても、原告の主張する本件事実関係の下においては、既に説示した法律関係が存することを否定し得るものではなく、裁判所の法律解釈の範囲が制限されるものでもないから、この点についての原告の主張も失当である。

二  そして、前記のとおり、被告の主張する本件更正の適法性根拠のうち、本件一時金等の所得区分を給与所得としている部分以外は当事者間に争いがなく、右事実関係を前提として、本件一時金等が給与所得であるとして算出した場合の還付金の額に相当する税額は、本件更正における還付金の額に相当する税額を下回るものではないと認められるのであるから、本件一時金等の所得区分のいかんにつき検討するまでもなく、本件更正に違法は認められないものというべきである。

第四結論

以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 富越和厚 裁判官 團藤丈士 裁判官 水谷里枝子)

別表一

平成7年分 所得税の更正処分の経緯

〈省略〉

別表二

「本件休職時一時金」を退職所得とした場合の計算

〈省略〉

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